今日の出来事

 今日はちょいとわけがあって妹が東京から僕の住んでいる地域にやってきて、部屋の掃除などを手伝ってもらうことに。最近僕は訳あって入院などし、部屋の掃除など一人で出来る状態じゃないので、そういった手助けはありがたい限り。

 で、休憩時間に軽く飯でも食おうかってことになり、近所を軽く散策した後、一軒の蕎麦屋へと入ることに。この店に辿り着くまでにも少々紆余曲折あったのですが、それはまた別の機会に。

 で、蕎麦屋に入ると、一人の少年(大学生風だが、青臭いところがかなりある)がおにぎりをむさぼっている。客はこの大学生一人。すいませーん、と声をかけると、禿げ頭の初老の男が割烹着を纏って出てきて、しきりに腰の低い態度で、席を勧めてくれた。

 暑い中、しばらく歩いたので、席に着くなりほっとして、お茶に手を伸ばす。お茶はセルフサービスで席の上に置かれたポットから茶碗に注ぐスタイル。なんと、このクソ暑いのに、熱いお茶だった。しかし、蕎麦屋という雰囲気に慣れていないせいか、そんな熱いほうじ茶がいやに新鮮に感じられる。

 お茶を飲みながら、注文。妹と二人で天ざるを注文。すると、主人がまたしても申し訳なさそうなあのスタイルで(つまり腰の低い様子で)サラダと小さな豆腐二切れを俺たちに出してくれた。「店からのサービスなんで」みたいな感覚である。正式なメニューなのかは、店主の態度からは窺い知れない。正式なメニューであれば、そんなに申し訳なさそうにしなくていいだろう。

 しかし、暑い中、ほうじ茶で体も温まり、冷たいサラダが非常に美味く感じられる。ほとんど野球部が氷入りの麦茶を飲み干すペースでサラダを完食。冷ややっこに手を伸ばす。

 ところが、この冷ややっこが、木綿豆腐のしっかりとした食感のもの。何から何まで一筋縄ではいかない。木綿豆腐、熱い茶、主人の異様なまでの腰の低さ。全てが寿司屋というか、和食の食事処の雰囲気にそぐうものだ。

 少ししゃべりながら、待つこと十分ほどだろうか。主人が天ざるを持ってきてくれた。どう考えても蕎麦の色がおれの予想とは違う。青黒い色と言うか、緑臭い色と言うか、天ざるのざる蕎麦のおれのイメージからは程遠い、青白い文学青年の肌のような、白っぽい蕎麦なのだ。その瞬間薄気味悪いものがおれの肌をぬるっと伝う。何かの予感である。

 主人の腰の低い対応。それはまさにこの「文学青年のような」青っ白い白めの蕎麦にあるのではないか。おれはそう直感した。そして、ご察しの通り、その予感は的中した。

 蕎麦の腰が異様なまでに抜けているのである。腰の強いつるっとしたのど越しとは無縁の、ぬるっとした、ぼそぼそと切れるような不思議な食感。店主の腰の低さは、この蕎麦の異様な食感に主人自身何か含むところがあるからなのか?と邪推するのはおれだけではないはずだ。