モテる主人公

村上春樹の文学についてよく言われることの一つに「主人公がモテすぎる」という批判がある。
しかし、よくよく考えてみると、女性について理解すればするほど「モテる主人公」を主役に据えないと上手く作品が動かなくなるんじゃないか?
女性について正確な記述をしようとすればするほど、主人公を「モテ」に書かざるをえなくなるような気がするのだ。
なぜなのかはわからない。それにこれが正しい指摘なのかもわからないが……。
主人公を「モテ」に書くことの利点については改めて考察する必要がありそうだ。
わからない。「モテない」主人公を主役にして、「女性についての理解」を記述することはできるのか?