おっさんとカラオケに行く

 おっさんとカラオケに行った。

 確かに他愛ない出来後ではある。しかし、僕にとってこれは衝撃だった。

 まず、僕は自分がおっさん受けのよくない人間であると勘違いしていたからである。

 おっさん受けのよくない人間がカラオケにおっさんに誘われたりはしないだろう。

 そもそもおっさんというのは非常にシャイなので、容易に人を誘ったりはしない。

 大勢の飲み会などは別である。こうした催しものには積極的に人を誘うことのできるおっさんは数多くいる。ところがである。一対一の会合などになると、途端に逃げ腰になってしまう。これがおっさんというものなのである。

 そのおっさんからカラオケに誘われたのだから、僕のおっさん受けはまあまあというところなのだろう。これが、まず、おっさんにカラオケに誘われて発見した第一の側面である。

おっさんとカラオケ

 年末の某日。

 濡れそぼつ雨の中、二人の男は駅のホームからカラオケボックスへと足を走らせた。

 カラオケボックスはおっさんによって予約済みである。

 用意周到なおっさんと二人カラオケボックスへと向かう。

 おっさんとは言え、僕と8歳差の40歳。

 あなどれない。きちんとカラオケボックスが予約可能だということも知っている。

 そもそも、8歳差の方を「おっさん」と呼ぶなら、僕も「おっさん」と言えなくもないわけで……。

 複雑な気分で受付へと向かう。

 受付で「ビールは飲みますか?」と訊かれたらしく、「ビール要らないよね?」と僕に確認してくるおっさん……。

 ビールも飲まずにカラオケに熱中しようとしているおっさんが二人。窓から見える年末の風景が殊更に煙って見えた。

おっさんとカラオケ

 おっさんとカラオケに行ってきた。

 こう書くといかにもゆるい空気が漂っている。

 僕より8歳も年上の方とカラオケを同席するのだから、当然気を引き締めなくてはならない。もっと深刻にならなくてはならないのだ。

 おっさんは約束通りの時刻に現れた。僕の方が遅れてしまったくらいである。やはり年上の方の律儀なところには学ぶところがある。

 いつもとは違うラフな雰囲気が漂っているこの方の印象に僕はたじろいでしまった。完全に出遅れた感がある。この遅れはカラオケで取り戻そう、そう思っていた矢先、またしても出鼻を挫かれる。

 すぐにカラオケに直行するものかと思いきや、完全に余裕を漂わせつつ、なかなか動き出そうとしないこの方。ここは僕がなんとかしなくてはと思いつつ、「ウィンドーショッピングでもしませんか?」と提案してみる。

 すると、しぶしぶ僕についてきてくれるが、すぐに、「僕らがここにいても場違いでしょ。もうカラオケの待合い場所で待ってようか」と言われてしまった……。完全に空気がこの方の流れになってしまっている。出遅れたこの流れは取り戻せるのか……???

カラオケボックスから見た年末の風景

 おっさんとカラオケに行った。

 そのカラオケボックスから見える年末の風景は何故か物悲しく、それでいて、不思議に胸膨らむものであった。その全容を語ろう。

 待ち時間におっさんと語らう時間があった。予約して行ったにも関わらず、僕らは結構な時間待たされた。その待ち時間におっさんが最近彼女と別れたことを知ったのであった。

 おっさんと恋愛。これほど甘酸っぱく不思議な感情になる組み合わせもあるまい。そこでおっさんは一つの恋愛観を提示してくれた。

「恋愛関係がきちんと続くためにはお互いの努力が必要」

 なんと切ない言葉だろうか。おっさんは自分がフラれたのが努力不足と思っているのだ。おっさんと恋愛に関する努力。これほど切ない組み合わせもない。これだけで年末の風景が物悲しく見えたことは明らかだろう。

40歳のおっさんとカラオケに行く

 この間40歳ぐらいのおっさんとカラオケに行った。

 不安がなかったわけではない。おっさんがカラオケに行ってどんな感じに振舞うのか全く予備知識がなかったからだ。こうしたことに備えあれば憂いなしという立派な由緒正しいことわざを使いたくないのだが、やはりそれは正しかった。僕は備えをしていなかった自分を深く悔いた。

 おっさんとのカラオケにドキドキするというのも変な話だが、やはり、ここは年の功、自分も大人になったということなのだろう。女子高生とカラオケに行くよりも、遥かに警戒しておかなくてはならないイベントがおっさんとのカラオケであることにその時僕は気づき始めていた。

 こうしたことに警戒心をむき出しにできるというのもやはり、年を取って初めてできることなのである。

カラオケボックスにおけるおっさんの効能

 この間40歳の方とカラオケに行った。

 カラオケボックスの雰囲気はどこかしら浮ついた感じがして馴染めない。

 真面目ぶるつもりはないのだが、いかにもティーンエイジャーが時間をつぶしている独特のやさぐれた空気に多少胃がやられてしまうような感じがある。

 しかし、40歳のおっさんとカラオケボックスにいると、何故か心強い味方がいるような気分になってしまった。

 何がそんなに心強かったのかも、まだよくわかっていないのだが、なんとなく、おっさんが「若者解毒剤」のような働きをしているような気がしたのである。

 「若者解毒剤」とは何か? 要はカラオケボックスの浮ついた空気を一瞬にして解毒するタイムマシーンのような機械である。

 おっさんがいることで時空がゆがみ、その場の空気が平準化される……、とまではいかなくとも、それに類する効果は期待できるのではないだろうか?

 これがおっさんとカラオケボックスに行くときの効能である……。

無職のクリスマスとイラスト人生の第二幕

 僕がイラストをネットに上げ始めて一年十か月が経つ。この期間に上げたイラスト総数はおそらく千点に及ぶが、結局一つとして完成品は出来なかった。

 それは言い訳でもなんでもなく、自分のベストを尽くしたものの、やはり、今一歩力が及ばなかったからであろう。己の非力の致すところである。かたじけない。

 一年十か月というのは短いようで長い。これだけの期間イラストを描くことに没頭できたことにまず感謝したい。

 これからの展望としてはやはり、先人たちの偉大な業績を沢山真似して自分のものにしていきたいということである。

 実はすでにそのような訓練は始まっている。おれのイラスト人生の第二章が幕を開けようとしているのだ。

 そんな矢先、突如巡りきたこのクリスマスという師走の大イベント。プレゼントをあげる側でもなく、もらう側でもない、そんな中途半端な状態の自分に否応なしに直面させられる。

 今日の就職支援センターでもやはり、「無職の自分」というのが相談のテーマとなった。

 そしてクリスマス。LINEの壁紙を見ていても雪の舞う粉飾に、「これも誰かの仕事なんだよな。すげえなあ」とやはり無職の自分を意識させられたのであった。イラスト人生の第二幕はどうなることやら。