漫画家志望者として……(五年間の記録)

 僕は漫画家になりたいと思っている。比較的最近のことである。まあ、ここ五年くらいかな。考えてみたら、漫画家になりたいなあ、と漠然と思い始めてから、そんなに経ってないんだな。なんだか、ひどくびっくりしてしまう。自分では、もっと前から思い詰めていたような気がするから。時間の経つのって、普通世間で言われているのより、ずっと妙な流れ方をするみたいだ。少なくとも、時の流れは早い、みたいな単純な言い方は出来ない。

 漫画の話してる時に、漫画からの引用をするのも、ちょっと間抜けな気がして嫌なんだけど、ドラゴンボール精神と時の部屋。あれなんて、世間の通例とは、逆の時間の流れ方をするわけだよね。時間がめちゃくちゃ経ってると思ってたら、実はそんなに経ってなかった、みたいなことだから。

 正直、僕は一生かかってもできなかったような大冒険をしたような気にさえなっている。まさに小説的だ。

 小説の中では、無限の時間が流れる。要するに、悠久の時を経て、あちらの世界とこちらの世界を旅するのが、物語なのだから、時間の流れがおかしくなるのは当然のことだ。

 あ~~~、長い冒険だった、って思うのが、冒険の醍醐味とでも言おうか。全ての良き物語が、この「長さ」を持っているはずだ。どっしりと肩にのしかかる重みを感じつつ、一生かかっても経験することのできない、「何か」を体験して帰ってくるあの感覚。

 それが一夜にして(上手くいけば、調子が乗ってくれば)、体験することができる小説という媒体。まさにマジック。

 このマジックが体験したくて、人は小説を読むのだろうし、だからこそ、小説の王道は「長い物語」つまりは長編小説、ということになるのだろう。

 どっしりと肩にのしかかってくる、冒険の記憶。これが長編小説の醍醐味だ、と、話が少々脱線してしまったが、要は、漫画を描きたいと思い始めて、五年ぐらいになるけど、その間、僕はずっと病気に苦しめられていて、その病気から回復した今になって、考えてみると、その闘病時の精神状態は、なんだか、すごく、長編小説を読んでいる時のトリップ感に似ている、ということです。

 ずいぶん前の記事から、同じことばかり書いているような気がする。とにかく、僕の頭脳は、勝手に、「長編小説的な回路」を頭の中に作り出して、そこにはまり込んでいた、みたいなのだ。それが僕の、自分の病気に対する仮説です。これからどうなることやら。