イライラについての考察
僕はイライラすることというのがあまりないらしい。最近僕はイライラするシチュエーションというものについてよく考えている。
あんまりどこかに急いで向かう、ということをしていないせいか、イライラしそうになっても、「別に急いでないよな」と気づくと、イライラは収まってしまう。それほど時間にゆとりのある生活をしている証拠だろう。
このゆとりのある生活というのが、僕にとっては本当にありがたい。というのも、僕は急いで何かを行う、というのが根っから性に合わないからなのだ。
子供の頃の宿題でも、宿題をするのが嫌、というより、残しておくと、後々急いでやらないといけなくなるから、前倒しでどんどん仕上げていたような節がある。時間に追われて自分のペースを見失うこと、これこそイライラさせられることである。
と、こうして考えてみると、イライラするシチューションというのは、そのシチュエーションになる以前に、既に自分が急ぎすぎている可能性も考えてみる必要があるのではなかろうか?
例えば、レジの列が長くてイライラする。しかし、そのイライラはよ~く、考えてみると、「普段から自分が必要以上に急がされている(自分のペースを乱されている)イライラ」+「普段から急がされているそのペースがさらに乱されるイライラ」のように構成されているような気がする。
ここで本質的なのは、おそらく、前者だ。列が長いことによって、普段必要以上に急いでしまっている自分というものの姿が浮き彫りになる。そのことで人は必要以上のイライラを感じるのではなかろうか? 以上が僕のイライラに対する考察である。