ミスチル選民思想

 よくよく考えてみたら、僕のまわりにはミスチルファンが多い。
 就労支援事業所に通っているのだが、そこで仲良くなった40がらみのおっさんもミスチルファンだったし、幼年期に知り合った旧知の友人もやはり兄貴の影響を受けて、ミスチルの大ファンだった。
 僕の回りのミスチルファンはやはりミスチルファンというものが古来からみなそうであるように、非常に自信満々にファンであることを公言する方が多いようだ。
 もちろんこれは全然間違ったことじゃなくて、あるミュージシャンのファンである以上、自分がファンであることを言った方が、ミュージシャンにとっても、ファン本人にとっても好もしいことは言うまでもない。
 例えば、ファン同士がお互いのミュージシャンの好きさ度合いを比べ合うことができる、などの点がそうであるのだが、これには一つの問題点が含まれている。それは、「ミスチルファンは誰しも『自分が一番ミスチルのファンなのだ』と思いたい」という根深い選民思想を抱えて生きていることだ。
 したがって、その会話は非常に醜い争いになることが多い。
 それゆえ、僕自身は、ファン同士のこういった会話は避けて生きてきたのだが、つい先日、ふと自分が少年期にミスチルを聴きこんだことをミスチルファン歴30年の猛者にもらしてしまい、案の定こうした醜い争いが始まった。
「僕が初めて借りたCDは『ATOMIC HEART』でしたね。90年代最高の名盤ですよ」とか、「○○さんは『It’s a beautiful life』 より『Q』の方が好きでしょう。顔つきからわかります」などだ。
 「あ、おれはまだまだだな……」、とか「お! おれは結構ファン歴深いな! まだまだいける!!」などの心の声が、ばしばし聞こえてくる。嫌な時間である。
 ミスチルファンはいつもこのファンとして語りたい、という願望と、醜い争いは避けたい、という気持ちの狭間で、熾烈な葛藤を抱えて生きている。明日はどんな会話が僕を待ち構えているのだろうか。

就労移行支援事業所と僕の朝カフェ習慣について

 僕はこの度就労移行支援事業所という僕にとっては馴染みの薄い障害者支援の組織で就労の為の準備をすることになった。
 その組織は下京区の比較的アクセスのいい位置にあるので、僕はそのことにまず、就労移行支援事業所に通わせていただくことになった瞬間に感謝したものだ。
 僕の家からはバスで四十分ほど揺られた後に徒歩で五分ほど歩くと着いてしまう。最初は家から出るタイミングがなかなかつかめずに、10時に着くべきところで、9時15分ごろには下京区にあるセンターの最寄りのバス停に着いてしまっていた。

 それがいけないというのではないが、センターが始まるまでの間、優雅に喫茶店などで楽しい時間を過ごした後、何食わぬ顔でセンターに出所するのはとても決まりが悪かったものだ。

 なんとなく自分がズルをしているような気持ちにさせられたのである。おそらく職員さんたちは出社ぎりぎりの時間に着くように家を出て、それも、僕より何倍も早起きして、そういった生活をしているに違いない、と。

 それは現在においても変わりなく、そのため、そろそろ朝カフェの習慣も終わりにしようかな……、という気がしている。

 ところが、僕は定刻通りに到着場所に着くように家を出るのが殊更に苦手なのだ。早めに行って、心を休めながら朝食を取ることが僕にとっては重要なのである。さて、どうしたものだろうか?

Hさんの落ち着きとカラオケボックスにおける安心感について

 Hさんという知り合いがいる。Hさんは現在僕と同じ就労支援センターに通い、共に社会復帰を目指して切磋琢磨する身なのだが……不思議なほど落ち着いている。

 僕は32歳という年齢のこともあり、早く就職せねば!!とかなり焦りながらせこせこと家でも自分に就けそうな就職先の情報を探し彷徨って、電脳世界をたどたどしく歩き回り、その途方もない広さに半ば呆然と時に白目を剥いたりしているのだが、Hさんからは不思議なほどそのような疲弊感や焦りが感じられない。

 そんなHさんから先日カラオケに誘われた。僕は二つ返事でOKしたが、心の中では、「Hさんやっぱり余裕あるな~」と感心していた。「やっぱりHさんはすごい……!!」そして「僕は年末の心緩む時期も、とてもじゃないが、自分一人では遊ぶ気になどなれそうにもないぞ!!」と戦々恐々としながらも、Hさんを讃えていた。

 そんなHさんとカラオケボックスへ。そこでもやはりHさんの余裕っぷりは健在で、いつもなら、こういう場所で若い子の姿を見るだけで、「こんな若い子ばかりいるところにいるなんて、なんて自分は分不相応な振る舞いに出ているんだ!! こんなことしてちゃいけない!!」とか思ってしまうところが、「Hさんがこんなに悠長にしてるんだから、自分ももっと楽しんでいいのでは……???」と不思議なポジティブシンキング(?)へと誘われていったのだった。

 それも、その感覚は、「この人もダメな人なんだから一緒に堕落しちゃえ!!」という、心の闇の領域から聞こえてくる悪魔の誘いに何となく乗ってしまいそうになる、といったネガティブな感覚ではないのだ。どちらかというと、なんとなくほのぼのとしてくる、そんな感覚なのである。

 そのようにして僕は年末をカラオケで楽しんだ。カラオケに恐怖感を持っている僕としては異例の出来事だったと言えよう。Hさんに感謝する!!

おじさんについての断章

 おじさんという生き物は一体どうやって呼吸し、生きているのか?
 僕にとっておじさんというのは異星に住んでいる生き物みたいに触れがたく、ある意味では尊敬に値する生き物だ。
 おじさんという生き物がいなくなったら、僕は生きがいを失って、それこそパンのかけらがしなびていくように、僕という存在も価値を失ってしまうだろう。
 おじさんがいるからこそ、僕も息ができる。おじさんはある意味で、この地球に存在している熱帯雨林のようなものかもしれない。

 僕は今32歳だが、これからどんどんおじさんへの道を深く彷徨っていくのだろう。そうなった時、僕のおじさん的思考回路はどうなっていくのだろう?そう考えると僕はひどく怖いのだ。
 おじさんが部屋をノックしたのは午前二時半のことだった。もう夜も遅い。そうやって夜更かしするのはもうやめよう、と思っていた矢先の出来事だった。おじさんの肩には深く雪が積もっている。
「おじさん」と僕は言った。
 おじさんはひどく疲れているように見えた。どう考えてもひどく人生に参っていた。そのころの僕もやはり人生に参っていた。
「おじさんはこんな雪の中何してるの?」と僕は言ったが、その声は幾分弱弱しかった。
「水をくれ」とおじさんは言った。なんとなく、あきらめたような調子で。
「そんな言い方はやめてよ」と僕は言った。
「本当はビールが飲みたいんだ」とおじさん。
「なるほど」と僕。
 二人は沈黙し、窓の外で雪が降り積もっていくのを眺めていた。
「もうすぐタクシーに戻らなくてはいけない」とおじさんは断固とした調子で言った。
 外では雪が一段と積もっていた。
 僕は無言でおじさんを見送った。

 その昔、おじさんに言われたことがある。
「おれたちはみんなおじさんへの道を歩んでいる。そこから逃れられる者はいない」と。おじさんが言うと、随分説得力があった。

年末におじさんとカラオケに行くことになった話

 年末。世間では帰省であったり、おせちに何食べようと思ったり、年越しパーティーでハジけようと思ったり、そういったウキウキモード全開の季節。一人身の方は、一年間頑張った自分をせめて自分は自分の味方になって祝うだろうし、友人のおられる方は友人達と盛り上がるだろう。

 そんなウキウキモード全開の季節を僕はおじさんと過ごした。

 注意しておきたいのだが、おじさんはおじさんでもとてもフレンドリーな方である。この方となら、僕は楽しく、年末のウキウキ感をぶち壊さずに、平穏に過ごせると思ったのだ。

 おじさんはとても律儀な方である。お土産に何が欲しいか、と僕に訊いてくれたこともあるし、非常に礼儀正しいのだ。

 おじさんに連れられて過ごす年末を僕は夢想した。

 そもそも、僕は年上の方にあまり可愛がられた経験がなく、この度、おじさんに遊びに誘われたこと自体非常に珍しかった。

 おじさんと僕の年末はどのようなものになるのだろうか?

 実際、おじさんはカラオケボックスにおいても、かなり礼儀正しかった。ただ、お酒を飲んでいる姿を見られたことは嬉しかった。

Hさんとミスチルカラオケに行くことになったきっかけ

 ひょんなことからとある年配の方Hさんと親しくなった。

 親しくなったいきさつについてはここでは割愛する。とあるきっかけでHさんとカラオケに行くことになった、そのいきさつについてここでは述べてみたい。

 カラオケに行くことになった直接の原因というか、縁を作ってくれたのは、僕が永年愛好してやまない日本のロックバンド、ミスターチルドレンであった。僕はこのバンドの曲はほとんど暗記しているし、歌詞もほとんど覚えているくらいファンなのだが、あまりファンであることを公言してこなかった。

 一つには、好きすぎて誰かと分かち合うにはあまりにも僕のミスターチルドレン愛が深すぎるからだし、やはり、ファンというものは、それぞれ孤立した地点で、静かにその曲を味わえばいいと思っているからだ。

 実際、僕は一人で風呂に入るときなどに、頻繁にこのバンドの曲を歌っているし、よく聴いているのだが、カラオケで歌ったり、ましてや人前でファンであることを公言することになるとは露ほども思っていなかった。

 かなり密室的なファンと言うべきなのだろう。しかし、Hさんとよく会話するようになり、また、Hさんのミスターチルドレンに対する愛着が、かなり粘着質なのを知るに至って、ようやく僕も、他人に対してこの性癖を明かしてもいいと思ったのだった。

 幸い、どんなにマニアックな知識を披露しても、Hさんはまるでひるむことなく僕のミスターチルドレン愛を受け止めてくれて、今回の二人ミスチルカラオケ開催へと漕ぎつけたわけである。

カラオケに行って考えたこと(作/ヒロカズ)

僕は先日(年末の差し迫った年の瀬)カラオケに行ってきました。

カラオケに行くのは随分久しぶりのことです。カラオケボックスの雰囲気に馴染めるのかどうか不安でいっぱいでした。

僕はカラオケ屋の雰囲気が割に苦手です。なんというか、煙が充満しているような、饐えた匂いがするようななんとも言えない空気感が苦手だからです。

若者たちが待合場所でぐーたらしているのも苦手と言えば苦手です。若者たちの持て余している時間が消費されていく感じも割と苦手です。

そんなカラオケ屋に抵抗感を持っている僕ですが、行ってみると意外にその場に馴染むことができました。なんというか、年末にこういう場所で時間を過ごすのもいいものだなあ、と思ってしまったのです。

一つには、若者たちから不思議なエネルギーをもらったからだし、一つにはカラオケ屋の窓から見えた景色が割に綺麗だったからでもあります。

僕の状況は割に芳しくなく、これからの状況を考えると、決してカラオケ屋で騒いでいるのがふさわしいものでもないのですが、カラオケ屋で友人と過ごした時間は窓の外の風景と相まって僕を励ましてくれたのでした。